「西郷どん」の第13回にて、
写真撮影のシーンがありました。
日本人によって写された写真で、
現存最古のものが、物語の時代(1857年)に撮られた
島津斉彬の銀版写真です。
「写真を撮ると魂を抜き取られる」
というのを本気で信じていて
写真が大嫌いだったというエピソードがある西郷隆盛。
本当にそれだけが理由だったのでしょうか?
有名な西郷の写真、実は本人でなかった!
このたび、ドイツで西郷さんの写真が発見されました。従来のはイメージであり、上野の西郷像除幕式で奥さんが、違うやん!って絶句したというエピソードがあるくらい似てないと言われていたが、確かに発見されたのが本物なら別人やんけw pic.twitter.com/WB5ZMSgAlM
— いっちゃ★旅するように暮らしたい♫ (@wahaha_iccya) 2017年4月18日
「そんなバカな!」
と言いたくなる
「実は別人の写真だった」
エピソード。
教科書で見た足利尊氏の肖像が、
実は別人だった、というよりも衝撃です^^;
(今では「鎌倉武士」になっています)
歴史の研究が進むごとに
新しい発見があるとはいえ、
あまりにも新しいすぎる…
同時代の写真で唯一の替え玉(?)とあって、
写真嫌いを裏付けるエピソードともいえます。
西郷どん、写真嫌いの理由は他にもあった?
日本人によって写された写真で、現存最古のものが、物語の時代(1857年)に撮られた島津斉彬の銀版写真です。 #西郷どん pic.twitter.com/k0TwZmjG7z
— おいでよ関門 (@ei__yu) 2018年4月8日
「写真をとると、魂を抜きとられる」
と信じられていた時代。
西郷の写真嫌いの理由にも挙げられますが、
調べてみると、他にもありそうな感じです。
西郷隆盛は西洋技術が嫌いだった?
西郷隆盛は、島津斉彬は大好きなのですが、
西洋技術はあまり好きではなかったらしく、
手紙で
「島津斉彬様の蘭学好きには困ったもんだ」
と書いてるくらい。
西郷隆盛の写真が一枚もないのは、
実は、単に西洋技術が嫌いだったからではないか
とも考えられます。
写真を撮るのがとにかく大変だった?
島津斉彬が使ったホトグラフ(写真機)はダゲレオタイプで、
撮影するのに四半時(約30分)もかかりました。
おまけに、幕末の写真一枚の値段を今の貨幣に換算すると、
なんと5〜6万円!
長い時間、じっとしている必要があり、しかも高額。
体育会系(?)で、貧しい下級武士の西郷にとっては
好きになれるはずもありませんね^^;
写真用に着替えるのが嫌だった?
当時の写真は、今の自撮りと一緒、
取るときに左右が反転してしまいます。
洋服だと問題ありませんが、
和服の場合、着物の合わせを逆にすると
お葬式用になってしまいます。
西郷どんでも、
山田殿が着物の合わせを逆にして撮影してましたね。
写真だと反転するから着物の合わせが左前になってるってことだよね?#西郷どん pic.twitter.com/8dl1GibrjD
— はら (@chaaan_ha) 2018年4月8日
着物の合わせが逆にして撮影するか、
逆の状態で写真に残すか・・・
いずれにしろ、
不吉なことをしなければいけないので、
嫌がった可能性はあります。
案外、
「写真を撮ると魂をとられる」
というのも、ここに起因しているのかもしれませんね。
暗殺を危惧した?
今で言う、
「個人情報保護」
の観点だったという説もあります。
可能性としては0ではなさそうですが、
現代でも「似顔絵」による人探しは行われているし、
ドラマで放映されているような時期は、
狙われるほど重要人物でもないし、
あまり関係ないのかなと思います。
西郷どん以外にも写真嫌いはいた?
この考えのせいで未だに本物の肖像画が見つからないんだよなー笑#西郷どん pic.twitter.com/axviMZcVt9
— ノリフミ (@kinbaku007) 2018年4月8日
ドラマで島津斉彬が言っていたとおり、
「ワシが良いと言うまで一歩も動いてはならん」
という、この時代の写真撮影は酷ですね^^;
島津斉彬が家来に写真を撮るよう命じたところ、
魂をとられるのも嫌だし、
かといって君命に背くこともできぬ、
と切腹してしまった、という逸話もあったとか。
ちなみに、坂本龍馬や土方歳三が撮影した頃には
ダゲレオタイプの改良や湿板写真の登場で、
30分の撮影時間が10秒位まで短くなっています。
迷信よりも
「動いたらダメ」
というプレッシャーが
好き嫌いのポイントかもしれません。
まとめ
現代でも写真が好きでない人はいますが、
西郷どんの時代は、もっと物理的な理由で
写真を嫌う人がいたのではないかと思います。
当時の写真技術のことを思うと、
「魂~」というのは、
断る口実だったんじゃないか、
と思えてきます^^